「あの雪の夜のゴム長」
桐生RC 前原 勝樹
あれは、1969年1月20日も、夜も9時ごろであった。私は公式訪問のため、信越線東三条駅頭に降り立った。
改札口を出ると駅前には、大きな雪の山ができており、地吹雪が舞っていた。家を出るときの上州はからからの上天気だったから、軽装の身であった私は、はてどうしたものかとしばし立ちつくした。と、雪の山の向側から、一人の中年男性が現われて
「遠いところごくろうさまです。お迎えに参りました。私は会長の金子六郎でございます」と、私の前に半長のゴム靴をそろえてくれた。
ありがたい気持ちで、ゴム長を履くと、私は金子君にしたがって雪の道を歩き出した。しばらく行くと、街角にこうこうと照明を照らして何人かの人たちが雪かきをしている。
聞けば、明日の朝、東京のトラック便を迎えるために、官民総出の除雪作業だという。暖かな天候の関東では想像もつかない光景である。「市長さん、御苦労さんです」と、作業中の一人から金子君に声がかかった。市長さんというからびっくりした。
彼は前市長であるが、いまもそう呼ばれているのだそうである。なおも好奇心で、「あの方はどんな方ですか」と尋ねると「うちのクラブの会員ですよ」と。
それにしても、公式訪問もすまないうちに、思いがけず、会員の奉仕活動に余念のない姿に接し、感動を覚えた。さあ、明日の公式訪問が楽しみになった。このすばらしいクラブの人たちに会えるのだ、とわくわくしたものだ。当時のことを、私は、こうつらつらと思い出すのである。
63年6月5日、私はいま、そのクラブの20周年祝賀会の席に参列の栄を浴しているのだ。わずか26人だった会員が、いまや62人の押しもおされもしない立派なクラブに成長した。
あの雪の夜のゴム長と、会員の人たちの除雪奉仕に精を出す姿が、いまも脳裏に鮮やかである。今後30周年、50週年が更に更に期待されるが、私は既に84才。それを見られないのが残念である。
そのクラブとは、三条南ロータリークラブのことである。
ロータリーの友」1988年11月号より
前原勝樹パストガバナーが南クラブの初めての公式訪問の折の思い出を「友」に紹介して下さった記事です。その後、この記事は、翌年 4 月「ロータリーの友・英語版第30号(春季号)」にも掲載され、「貴クラブを世界に紹介させてもらいました。」とPGから温かいお手紙をいただきました。